おにぎり山

こころおきなく長文で

突如忙しくなり、忙しいのに慣れてないのでてんてこ舞いになっている。うれしい忙しさとうれしくない忙しさ、その中間くらいに居る気がする。そして、移動している時、待っている時には文章を書くことについて考えている。こういう日々の雑記のようなものを書くのは容易であるが、それ以外のものについては身構えてしまっていけない。思ったことを話すように、多少支離滅裂でも良い(本当に良いかどうかは知らないけど)から文にするのが良いのだと思う。忙しいのと家に籠もらないと行けない理由も別にあるのとで、ZEPPにもその他の色々なものも見送っている。でも去年は家に居なさすぎたからちょうど良い。文章を書いていると落ちつく。自分が思っていることをそのまま、また具体的にまとまっていなくても、文になるとなんとなくそんな気がしたり、はっきりと違うな、そんなんじゃない、とわかったりもする。とにかく、編み物をするような感じで、刺繍をするような感じでチクチクと。

先日の訃報関連で90年代の終わりにあったきりの人にあった。住所をお知らせしたりの業務連絡でメールと電話でやりとりし、その後実際に会ったのだ。ずいぶんと長いブランクを経て、訃報をきっかけに会うことになるとは思わなかった。最後に会った頃には全くそんなことを思わなかった。自分や自分の周りに死の影はなかったし。実際はごくたまにあったけれど、20代や30代でなくなる人は本当に稀であった。人々は特に長生きしたい訳でもないし、と言って煙草をたくさん吸い、お酒をたくさん飲んだ。仕事や遊びで遅い時間、あるいは早朝まで起きていたりしていた。結婚している人はいたけれど、子どもがいる人はほとんどなかった。あれから20年近い年月が過ぎ、子どもを持った人も多い。ライフスタイルは必然的に変わっていった。長生きしたい訳ではない、と言っていた私を含む人々も人間はすぐ簡単にコロリと死ぬことが出来ないことがわかってきた。身内や友人の闘病、逝去に接する事で、人間が死ぬのは大変なことだということがわかってきた。ようやく。一番辛いのは死ぬこと自体よりも闘病や副作用での苦しみなのではないか。いま私は延命のための色々や、臓器移植、再生医療など、「自然に死んでいくこと」に反した治療には反対という気持ちを持っている。もっと自然に死んでいくべきではないかと思っている。何を、そこまでして、という気持ちではいるけれども、いざ、自分の身内がそういう状況になったらどうだろう、と思うようになった。たとえば、息子が脳死状態で他の子どもが臓器や四肢、その他色々なものを待っていたとしたら。正論では、臓器の提供をするのが脳死状態が続くよりも本人のためにもなるのでは、と思っていても、まだ暖かい体から他の子のために……と思うと、想像するだけで躊躇する、頭ではわかっていても、感情が受け付けない。体がつめたくなって、魂が抜けたら諦めもつくのだろうか。いま息子は幸いそういう状況ではないけれど、一度死を意識したことを思い出すとぞっとして胸の奥が冷たくなる。こんなことは本当は想像すべきではないのだと思う。思ったのでもう止す。

自分はもちろん、人というのは本当に変わっていくのだなとよく思う。芯の部分、本当の奥にある部分はたぶんそう変わらない。多少の成長や、痛い経験をして学習するのかもしれないが、子どものころから産まれたことから備わっている個体特有のものは変わらない。変わるのは表面上の人から見てわかる部分、言動や行動だけだ。それが中身とリンクしてないことは多いだろう。いろいろな経験で矯正されたりして出来上がったのがいま表面に現れているソレなのだと思う。以前は良いなと思っていた人の言動が、ぞっとするものになったのはその人がぞっとするような人間になったこと、また受けてである私の方がそういうことに過敏になったのと両方だろう。双方の違いによって、気がついたらずいぶん遠いところに来てしまったという気がする。いぜん自由だと思えたところは、極めて勝手な、年甲斐もない言動にうつる。最悪である。また相手からすると私は年齢相応に陰険になっている、後ろ向きになっているのだろう。年齢を重ねて、色々な経験を積み、色々なことの予想がつくようになった。なったから、新鮮な驚きもなく、ああ……あーねー……など、醒めたシニカルな反応しか出来ない。若い頃なら、うわあそうなんだ!と言えてたようなことも、もう知っているからそんな風にも出来ない。もっと器用な人間ならば、とりあえずの社交術としてそういう態度を取るのかもしれない。私もあまりないそういう部分をかきあつめてがんばるときもあるけれど、あんまり元々そういうのないから、それなりにしか出来ない。

こういうことを書くと、後ろ向きで鬱状態なのではと思われることを恐れている。でも鬱状態などではない。感情は低いところでずっと一定の高さを保っている。上がりも下がりもしてない。低空飛行、小康状態と言ったところだと思います。

以前普通にやっていたことをやってみようキャンペーンの一環で、バナナを熟しすぎの状態にした。そしてバナナケーキを焼いた。やってみると全然簡単であっけないものだが、ずっと出来なかった。実際制作部分よりも、気合いのところ。えいやっ!という勢いが全く無くなっているのを実感。そういう勢いでプールに行ったり、歩いたり、人と会ったり、旅行に行ったりしていたのだ。まあ人に会ったりは今でも出来ているけれど。とりあえずバナナのは美味しく出来たので、また作りたい。

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訃報の連絡から一週間ちょっとが過ぎた。まだ実感がわかず、妙な感じが続く。その間何をしていたかというと息子の遊びの遠出につきあった。千葉まで行くと言う。普段は夫が遊びにはつきあっているのだが土曜日しか行かれなくて、ふだん全然遊びにつきあってない軽い自責の念(てほどでもないけれど)もあって。ちょうどいいや、ソレつきあいますわーって行ってしまった。そうしたら、息子が学校で勝手に友達と行く約束をしていて、ちょっと責任が重くなった。一人でだって海浜幕張駅にすんなり行けるかどうかなのに。駅で友達と待ち合わせているというという息子はもう前のめりで、一足先に行って駅で待っている!と言って家を飛び出ていった。だんだん重くなる。何がって。気ですよ、気。もうちょっと近いところだったら良かったな、とか、友達が一緒だとなんか事故とかあったらどうしよう、とか。幕張なんて遠い所は夫に任せておけば良かったとか。

重い足取りで一足あとに駅へ。息子は小さい子と何やら話していた。あれ?友達は?いるじゃん、ココに。みたいな会話をして、その小さい子が同級生だということがわかった。息子は人一倍大きく、お友達はたぶん平均的なサイズよりも二回りくらい小さい。だから二、三歳の年齢差があるように見えてしまった。息子が彼からおかしをもらっている姿は、まるで中学生がカツアゲしているようにしか見えない。そんなデコボココンビを伴って幕張へ向かう。子ども同士での会話は一人っ子のうちでは聞かれないものだから、息子は子どもだけの世界だとこんな風に話しているんだなーとか新鮮だった。

その子はかなりの人見知りのようで話しかけてもあんまり話さない。具合が悪いのかしら?と思って少し心配になったけど、私が知らない人だから緊張してるだけのようだった。息子とばかり接しているものだから、子どもというのは大食い早食いでやかましく、デカイ声で話してテンション高めな風につい思ってしまっていたけれど、息子はそうとうソッチの方のようだ。他の子と接する機会は親にとっても重要だなーと思った。この子は引っ越しをしてきたばかり、ばかりなのか、ちょっと経ったのかよくわからないけれど、とにかく学校があまり好きではない。みんなと同じ事をやるのも好きじゃなさそうだ。うちの息子なんてみんなと同じじゃないとイヤだという典型的日本人ぽいのに、子どもによって違うんだな。おともだちに何かを話しかけても、ぼんやりと聞いているのかいないのか、じっと黙っている。返事が返ってこないから、ああ、聞いてないのか、返事をしたくないのだな、と思って諦めかけた時に、ボソっと「……うん」とか返ってくる。返事をするのに時間が掛かるだけなのかもしれない。数時間一緒にいたら、少しずつ言葉数は増えたけれど、極めて大人しい子だった。息子とのやりとりをきいていると、性格が違うからケンカにもならず、妙に仲がよい感じに思えた。二人にしかわからない、クラスの誰かの話をそっとして笑ったり。楽しい小学生の休日のとおりで見ていて私も楽しかった。

なんとなく、普段やってないお母さんらしいことがしたくて、幕張メッセまで連れて行ったものの、会場につくと小学生の熱狂がうずまいているような状況で、子ども達だけでバーッと走って行く。まあ携帯もあるし。こういうところでは子ども達だけで遊びたいだろう。うちの息子の興奮ぶりはちょっと将来が心配になるような感じのもので、サンダルつっかけて煙草吸いながらパチンコに通い詰めるような大人になったらどうしよう、と少し思った。少ししか思わなかったのは、あんまり深く考えても仕方ないと思っているから。親が心配しようがしまいが、なるようにしかならなくて、パチンコにいまのめり込んでいる人たちの親だって、そういう風になるように望んだわけじゃないのにそうなっちゃってるのだから、まあ、仕方のないことってありますよね。

子ども達がカードを買ったり、なんかしている間、どうしようかなと思っていたら、訃報関連の続報が入った。これをまた連絡出来たらしてほしいと。ちょうどメールを送ったりは出来る状況だったので、会場の隅で送る。驚きの返信が来る。お悔やみご冥福安らかに、と祈る言葉が続く。こんな場所からだけど。子どもが山盛り、俗っぽい遊びがてんこ盛りの場で、亡くなった友人とはそぐわないけれど。その時にふと思った。どんな人でも子どもの頃はいわゆる俗っぽい遊びを好む時期があるんじゃないか。

たとえば、戦闘ヒーローに憧れたり、ギラギラと下品なカラーリングのオモチャをほしがったり、テレビで話題の、みんなが持っているアレがほしいコレがほしい買って買ってお母さん!という時期があるんじゃないだろうかと思った。

亡くなった友人は本人もご両親も、そういうものからは遠いところにずっと暮らしていたように思う。育つ環境も、また、学校に進んでからも俗っぽいものとは隔たりのある場所にずっといたから、こんな下品な色合いの世界には行ったことがないだろうと思ったけれども、彼も子どもの頃、多少は、「これを買ってくれないとイヤだ」「お願いだから買って」Je veux que cela. À l’achat. MAMAN. みたいなことを言っただろうなと思った。私はこの国の言葉はぜんぜん知らないから、そういうサイトで翻訳してみました。自分に息子がいるからだろうか。息子が大病をしているからだろうか。昔から知っているのに、つい自分の息子や、彼の母親を通して見てしまう自分がいた。なんでだろうなあ、彼にしてみたら、母親のこととか関係ないですし、とか言いそう。訃報を回していたら、携帯の充電が切れそうになった。こういう時のためのモバイルバッテリーだと思って充電。すぐになくなる。ほぼ空のモバイルバッテリーをわざわざ持ってきた己の手抜かりぶり。通常運転だけど。単に充電が切れた時よりもむなしさだけが増していく。一応待っている間のために伊丹十三の文庫を持ってきていた。

柔らかい柵で囲まれた休憩所という名ばかりの場所で床に転がって本を読む。この本を初めて手にした時には私は十代だった。「再び女たちよ」を知ったのは、大型書店でアルバイトをしていた時だ。お客さんがレジに持ってきた本にカバーを掛けようとしたら、矢吹伸彦のイラストに気がついた。伊丹十三のことは正直あまり知らなくて、あ、はっぴいえんどのジャケット描いてる人の絵だ、と思って。私もこの本読んでみようと思って、お客さんが帰ってすぐに、その本に入っていたスリップを見て、自分用に注文をした。とても面白くて、私が読みたい内容が読みたい文体で書いてあって本当に好きだった。自分で試したり出来そうなところはやってみたり。まあ憧れてたってことです。伊丹十三自体よりもそこに書かれているいろいろなことに。絵もよい感じで伊丹十三という人はホントに多才な人だったんだなと思った。俳優としての評価はあまり知らないのだけど、もしかすると器用すぎて「これだ!これしか出来ない!」というのがないのが逆にコンプレックスみたいな感じなのかしら、とか勝手に思ったりもした。考え方とかとても興味深かったのだけど、育児とか教育とか作務衣っぽくなってきたあたりで、ちょっと違うーーと少し思った。映画製作が主になっていった時にもちょっと違うーーと思った。いろんなことが出来て、マルチアーティストのはしりみたいな人だけど、越えられない父親というのが大きくあったのかなと勝手に思ったりもした。実際の父親がどうだということではなく、かなり小さい時に亡くなっているみたいだし、彼の中にある父親像が大きいもので越えられない、父親を越えて行かねばならないみたいな感じを彼自身楽しんでいたようにすら思えた。映画はアイディアに溢れていたけれど、(全部見たわけじゃないけど、最初の二作はとりあえず)なんというか、映画が「どうだ、すごいだろう、この映画」と言っているように思えた。他の人が思いつかないような題材を丁寧に調理したという感じで、面白くない好きじゃないと言わせない雰囲気があった。なんというか、油断してほっとするヒマもないような。びっくりはしたけど、私の好きな種類の映画じゃなかった。映画でヒット作出すよりも、エッセイのような余技ぽい事をもっとしてほしかったなあ。まあ本業あっての余技なわけですが、本業の方は残念ながら好きになれなかった。そんなことを思いながらも、なんだかんだと彼のファンでいたので、亡くなり方には釈然としないものがある。こんな死に方をするような人ではなかったから、取り沙汰されているような話なのかもしれない。自分からにしても他人からにしても、予想もしていなかった悲しいこの世の去り方で、本当にびっくりした。そのことを知ってからも未だに何度も読み返す数少ない本の何冊かのうちの一つ。
訃報を送るのを止めても結局は別な死のことを思っていて、色んな形で死が近づいてきたなあと思う。

そうこうしていたら、死の影なんて全然ない子ども達が遊び終わって帰ってきた。死の影なんてないっていうか、まあ無くはなかったんだけど、本人のキャラ的に皆無ということになっているというのが正確な状態だが。

二人とも行きよりもうれしそうで、二人を連れて駅まで歩く。駅の近くでアイスクリームをベンチに座って食べた。少しあるいたところで大道芸人が何かをやっていた。みかん農家で働いているという人で危険な技をやりつつ、インカム使ってトークをしている。ちょっと面白そうな、そうでもないことを言っていたが、芸はすごくて、お客さんも多かった。子ども達も楽しそうに見ていて、終わってからカゴにお金を入れに行くように言うと二人でいそいそ行っていた。

電車に乗る前に友達のお母さんに電話をし、思ったよりも遅くなってしまったので、家の近くまで送って行った。ここで力尽きて、息子もお腹が空いてしまったので二人でモスバーガーへ。まあたまにはこういうのもいいよネとか良いながら。外食はたまにじゃないけど、夜にハンバーガーなんてアメリカ人みたいなのはほとんどないので珍しかった。

外は暑く、幕張の会場は冷房で冷えていた。その中で死のことばかり考えていたら芯まで冷えてしまったようで、風邪っぽい。慌てて葛根湯を飲んで寝たけれど、もう遅かったみたいで完全に風邪で日曜は寝込んでしまった。慣れない事をやるもんじゃないとかいうけど、ほんと、お母さんプレイというか、慣れない事をやったから調子が狂ったんだと思った。

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その訃報を知ったのは2017年6月22日の水曜日の夕方。私は仕事場に一人でドンヨリした感じで居た。旧友の名前で着信があり、すぐに切れた。一週間ほど前にも彼から着信はあった。が、コールは一回で切れた。電話でも、会った時でもどうも噛み合わず、ケンカをしている訳でも無いけれど、ずっとしっくりこない間柄だった。私だけなのだろうか、と思って共通の知人に何人かに聞いてみても、皆わりと同じことを言う。彼は独特な距離感を持って人と接していた。丁寧で、でも誰も寄せ付けない。丁寧で、でもとても上から物を言う。でも上から言っている気持ちなど全く持っていなかったと思う。これが彼にとって、全くの普通であり上でも下でもない。とても丁寧でゆったりしている。どこかの王室とかの皇太子だったらこんな感じだろうか。最初は大金持ちの御曹司、と書こうと思ったが、大金持ちの持っている多少の成金らしさは全くない。大金持ちと呼ばれる知り合いは三名居る。お金があるということは庶民からするとうらやましいことではあるが、自分の才能や努力によってではなく、生まれた時からもう家にはお金があるとなると、ある性格のものにはお金の無さによるセコセコした感じがなく、鷹揚な育ちの良さが備わる。しかし、これも場合によっては世間知らずのぼんやりとしたボンボン、育ちの良さはあるものの、実戦向きではない人間が出来上がる。またあるものは、生来持っている陰気さ、偏屈さを周囲から疎んじられ、それによって性格がますますひねくれた。かつ、家にお金はあるが、それは自分の才能によってではなく、ただ「お金がある」という状態で、それがまた周囲から逆差別を受ける。その鬱憤を普段はひたすら抑えつけているが、ときたま漏れ出ている。「この貧乏人が!」「田舎者が!」などと暴言を吐き、またそれ故、疎んじられる。私はこのエピソードに接するたびに、器の小さい人間だなあとひそかに思っていた。思っていたけれど、口には出さなかった。あまりに救いがないからである。口には出さなかったけど、たぶんこの感情も漏れ出ていたのだと思う。人間はこんなにも色々なことを悪意を持って感じ取り、疑り深く、自分に自信がないくせに、おびえているくせにそれを攻撃という形で表現出来るのかとうんざりした。まあこんな人間はそうそういるものではないと思うが。

せっかくお金があるのに、元々備わっている性格のせいで台無しである。彼ら彼女らともう会うことはない。絶対にないが、今もどこかで周囲との軋轢に苦しんでいるだろう。私が私の日々をなめらかに送れていないように、と書きかけてふと気づく。あの人たちに比べれば、私の日々のちいさい棘などは全く問題がないということに。

と、ここまでの話はフィクションで特定の誰という訳では無いとしておこうと思う。

話は戻って、訃報の本人のことだが、とりあえず付き合いは本当に古い。そして特殊な関係であった。私はずっとちょうど良い接し方というのを自分なりに模索していたけれど、結局見つからなかった。見つからないまま、交流を持った。お互いの状況をはげましたりしていたけれど、彼の方でも同じだったと思う。思う、なんて雑にくくるとまた彼に怒られそうだが。色々と細かいところに異常に気のつく人であった。私のようなうかつな人間は叱られてばかりいた。叱られるような事柄でもないことまで言われることも多かった。その都度私は内心、うるせえな…と思っていた。叱られるべき、わかりやすいうかつ案件に関しては自分のうかつさを詫びつつ、無力さにうちのめされていた。そんな風にして、彼と私は仕事をしていた時期もあったし、最悪それ以下の事態から疎遠になったこともある。そのまま疎遠になっていてもおかしくなかったが、お互いに起こった出来事、その最中にもたらされた共通の知人からの電話によって再会することになった。その電話をしてきた知人は私たちのその時の状況を全く知らなかったというのだからおかしなものである。そういう電話を知らずにしてくる役柄として彼は最適であったのだろう。私は彼と彼の妻に会った二時間のたわいもない話で、ずいぶんと元気になったし。毎日悲惨な状況に居ざるをえない人間にとってみれば、たわいもない話は本当にありがたかった。彼の方はどうだったか知らないが、無聊を託つ、治療をする毎日にいつもと違う刺激があったのではないかと思う。さみしいから友達がお見舞いにきてくれるのが本当にうれしい、治療とか大変な日々なんだから、そのくらいの楽しみがないとやってられないと言っていたのを思い出す。

正直なところ、まだ信じられない、状況がのみこめないでいる。毎日会っていた話していたという関係でないから、「いない」という状況がピンと来ない。この十年で亡くなった知人はいる。でも、その誰もがすぐには会えない、どこか遠いところへ行っているような気持ちになっている。家族であれば、そんな呑気なことは言っていられないだろうが、少し距離のある友達、知人であれば、ずっと実感がわかないままというのは致し方のないことではないだろうか。実感がわかない。ただそれに尽きる。
さきほども、彼の知人に連絡をするための連絡先を探していた時に、そうだ彼に訊けばわかる、彼と近しかったし……とぼんやりと思った。彼というのは今回の訃報の当人のことである。彼の訃報を知らせるための連絡先を本人に訊こうとする、まるでばかげた話ではあるが、そのくらい実感が沸いていない。あとからじわじわと沸いてくるのだろうか。すごく悲しくなるんだろうか。悲しい気持ちになるのだろうか。今、とにかく思うのはご高齢である彼の両親のことである。お二人の気持ちが少しでもやわらぎますように。八十を過ぎてこんな思いをしなければいけないというのは本当に酷である。どうしてこんなことが起きるのか。理不尽にもほどがある。

彼との仕事のなかで、クラゲは印象的なものだった。この種類じゃないけれど、なんとなく貼ってみた。

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つい数日前の土曜日、天気もまあまあ、体調も悪くない。肩こりに悩まされたりすることもなく、気持ちも軽かった。そう良いことがあるわけでもないが、悪いことがない平らかな気持ちだった。悩みといえばデブなくらいか。でもまあ、社会に迷惑掛けるほどでもないデブなので許容範囲としよう。そんな感じだった。

私はその時に、色々小さい時から悩みがつきない性分でクヨクヨしたり、ため息ついてばかりの人生だったけど、ようやく私も今のようなおだやかな気持ちでいられるところに到達したなーと思った。年を取ることは嫌なこと、困ることが多いけれど、色々な経験をすることによって強くなるとかいうじゃないですか。今の私の状態、まさにソレだなとか思っていたが、今日の気分は最低である。何があったかというと、それぞれ一つずつは些細な事である。でも、一つ一つがチクチクして辛くションボリした気分になった。このところ、ずっと平らかな気分だったので、久しぶりのどんよりが身に染みる。今日は天候もこんな(こんなって書いたってあとで読み返したらわからないですよね。大雨、どこかの電車が止まるくらいの)だったのも大きい。

色々裏目に出たことが、また別な裏目を引き起こしたりしてもう自分ではどうにもならない。山火事をなすすべもなく呆然と見ているだけのような気分である。これが元気な時ならば、「ちょっとしたボヤ」と思えるのだろうけど、今日の心境だともういけない。こんな気持ちになる余地がまだあったんだなあ。

チクチクを一つずつ検証してみても、自分ではもうどうにもならないことばかり。私は嫌なことがあるとつい相手に言ってしまって事態を悪くする習性がある。状況改善よりも、スッキリしたいという、スッキリしたらあとはどうとでもなれという破れかぶれなところがある。本当に良くない。結果あとで良くならないことの方が多いし。いろいろなことへの対応が本当に悪い。こんなに長く人間やってきているのだから、少しはリスク回避をしていきたいけれど、うまくいかない。

多少元気な時はどうでもいいや、もう気にしてもしょうがないし、と思うけれど、そうじゃない時はつらいですね。(いまそう……)

何かが起こったとき、正直あんまり納得がいかない、え、ちょっとソレどういう意味ですか?と思ったとしてもなんかはっきり言えなくて、怒るべきか怒っても良い状況なのかそうでもないのかが、とっさに判断出来ない。良い人ぶりたいというところも大きいのかもしれない。あー全然気にしてないよーーとか言ったあと、しばらくしてから、モヤモヤと沸いてくる黒くて厚い雲。よく考えてみたら、あれはないわーひどいじゃんと思ってももう話は終わっている。そのモヤモヤを持ったまま日々過ごすので、日常的には大丈夫だけれど、ふとした拍子ににじみ出てしまう。必死で押さえ込んで過ごしていたはずの小さい悪意。両手でぎゅうぎゅうに押さえ込んでいるのに指の間からじわっと滲んでいた。本当ならば、嫌な事があったとき、冷静に「そういうのはいやなのでやめてほしい」と良きタイミングのところで言えたならそんなことにはならなかったのに。でも、そんなにちゃんと伝えてスムーズに解決出来ている人がどのくらいいるものだろうか。私のように最悪なパターンは少ないにしても、あとは完全に黙して「なかったこと」にする人が多いのではないかと思う。小さいいざこざを引き起こすくらいなら自分がガマンすれば良い……そう考える人は多そうだ。特に日本人では。完全にそう出来るならば、それはそれでありだけど。

色々なことがこの数年で変わっていった。これからもっと変わる予感がする。前は普通に大丈夫だったものが、同じ方法論ではもう通用しない。状況が変わったからなのか、それとも関係なくなのか、私自身の考え方、行動も変わってきている実感がある。前と同じものでは楽しめなくなったりしている。年を取ったからなのか、育児が落ちついたからなのか、その両方なのか。どっちでもないのかもしれない。とにかく「ちがう」というのだけははっきりわかっている。変わっていくものを、とどめることは出来ない。人はもちろん自分も。変わっていく途中には淋しいもの、悲しいものもあるけれど、未知のわくわくもあるから楽しい部分もあるだろう。見たことないから恐怖もあるけれど。ヤダなーと思っても仕方なく、なるようにしかならないと思うしかない。
など、くどくどと書いていたらだいぶ元気になってきました。一度ダメになってしまったものはもう前のようには戻らなくて長い間かけてダメになったんだから、元に近づけるとしても時間はかかると覚悟をするしかない。あーなんでこんなことになっちゃったのかなと思ったりはするし、あるときはどうでもいいや別に、と思うけど、やっぱりつらい。アウェイすぎてホームが見当たらない。

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今日は一日に何回か、このブログのことを思った。出来たばかりのブログ。生まれて始めてのブログ。ブログに限らず、どのSNSでも初めて登録した時には自分との距離感がよくわからないじゃないですか。用もないのにのぞいたり、もしかすると誰かが何か書いてるかも、とか思ったりして。そして、書いてあるかも!とちょっとワクワクしながら見てみたら、「なんも書いてなかった……」と軽くしょんぼりしたり。登録したばかりのSNSのことを思って、ちょっと自意識過剰になったり。
ニフティのフォーラム、数々の草の根ネット、メーリングリストなどの初期を思い出すとずっとそんな感じで。だんだんあとになると耐性もついて、「別にそんなに気にしてるわけじゃないし……!」とツンデレみたいなことを思うようになった。この自意識セットの距離感の妙な感じ、恋愛初期の相手のことばかり考えてるけど、しばらくすると落ちついて来て、日常に戻っていく感じ。そういうのに似ているなーと思った。ネットに気を取られてることを全然気にせず公言する人、見られている読まれている、と思うあまりに「何も書けなくなった」という知り合いは多い。世の中の人はもっと「ごはんおいしかった!」とか思ったことをそのまま書いてるだけなんだと思うけど、私の周りは音楽を作ったり絵や文章を描いたり書いたりの人が多いので、下手なことは書けないとかなのかもしれない。あるいはそんなに難しい話でもなく、取引先の人が読んだらどう思うかな、とかかもしれない。やっぱり本名でやってるというのは身動きがとりずらい部分は大きいですよね。

私はあまり考えないで書いちゃうけど、やっぱり、あとで何かを言われたりすると軽く凹んでしばらく書かなくなる。こういうことを書くとまた何か言われるなーとか。弱気な時は大人しくしていて、元気になってくると、別に何言われたって気にしなければいいじゃん、とか思っている。気にしなければいい、とか言っても絶対気にするんだけど。と、このように上り下りが多少ありつつも、総合的に見るとだいぶ文章を書くのが好きみたいだった。

今こうやってこのブログにせっせと書いていると、きっとその分、facebookTwitterの投稿数は減ると思う。それが狙いなので良い。全く問題ない。

5年前に付き添いで病院にいた時にはこれらのSNSとタンブラーにも長文を書いていた。あれ、ほんとは写真貼るところなのかもしれないんだけど、文章を長く書いたら大丈夫だったので、書いた。読んでいる人は本当に少しだけだったので、書きたい放題だったけど、別に何かを暴露するでもなし。何も問題は起きなかった。タンブラーは当時の心境を反映していて、今、ゆっくり見返すのは少しつらいところがあった。直接的な子の病気の話はとくに書いてない。むしろ別なSNSの方に細かく書いていた。いちばん詳細なことを書いていたのはGoogle+で、読んでいる人がものすごく少なかった。だから、病院で起きた色んなこと。起きたというか、起きてる最中のことをずっと書いていた。あまりに辛い状況だったので、パソコンでカタカタやって文字にしていると、少しは客観的に見られるのがよかった。軟禁のような状態だったけど、友人達が読んでコメントくれることで断絶を感じなくて済んだ。その多くの投稿は後日なんとなく消しちゃったけど。特にやばいことが書かれていたわけでもなく、フツーの話なんだけど、書いた本人にしてみると、ちょっと夜中に書いたラブレターを朝読んで、げっ!みたいな感じがあった。他人から見てどうということよりも完全に自分だけの問題です。

ブログという言葉を聞いた時のことはよく覚えている。会社の社長が、「あのさー、ブログって知ってる?」「ブログ?」「なんかウェブログの略らしいんだけど」「ウェしか略せてないね」「こういうのなんだけど」(見せる)「ホームページとは違うの?」「うーん」という会話をした。

既に書いたりする場を多少なりとも持っているところにブログが登場したので、ずっと気にはなっていたけど、別に今さらなあ、という感じだった。

ある程度クローズドの方がいろいろ書きやすいし、とか思ってた。でも最近はクローズドはクローズドで面倒くさく、具体的な顔が浮かぶだけに書きにくい。facebookとか知ってる人ばっかりだし、Twitterは適度に知ってる人と知らない人がいるけれど、文字制限があるし。たくさん書くとヒマ人だな、と思われてるんじゃないかと思ったりした。私は書くのが早いので長文でもそんなに時間掛からないのです……って誰に向かって弁解しているのだろう。

これで1891文字くらいか。文字数が表示されるのもすごくいい。

ずっと気になっていたけど、なんとなく接点のなかったブログの良い所を探している。まだぜんぜん知らないところばかりだから、こちらも新鮮でわくわくしている。ちょっとした良いところでも、すごく良く感じる。facebookにだっていいところはたくさんあったはずなのに!古い畳とか古女房みたいな扱いで申し訳ない。今は新鮮なブログも、だんだんと「こんなことも出来ないなんて」とか「広告がウザイ」とか色々ケチをつけることが予想される。いろんな新しいネットワークサービスにケチをつけつづけて、早20年が経ちました。とりあえず、今の段階ではたくさん書けるからいいな。

運営側の人からしたら「たくさん書けりゃいいのかよ!使い勝手とかデザインとかは!」と言われてしまうかもしれないが、まだそこまでよくわかんないから、たくさん書けるところを評価させていただきました。色々なことに門外漢の私でもなんとなく使い方がわかるところも素晴らしいです。

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神奈川県民ホールエレファントカシマシのライブを見てきた。すごい元気でびっくり。良い曲だとか歌がうまい、すごい声とかホメるべきところはたくさんあるけれど、同年としては、三時間も!演奏を!歌を!続けていることが、まずスゴイ。この年代になると、体力はなくなる、集中力も続かない、気が短い人はより短く、決断力がない人はよりノラクラと。この同年のメンバー四人(と四十代、三十代のイケメンサポートメンバー)が揃って練習をみっちりやってるのかと思うと、こう、なんというか、しみじみとぐっと来ます。短気で神経質な人はよりその傾向が強くなってるだろうし、揃って練習とかすごく大変そうだ……。つきあい長いから大丈夫なのかな、その辺はもう他の人たちには計り知れないのだと思う。

自分が中学生の時の同級生とバンド、もしくはなんか一緒に仕事をしているとしたら、と想像してみようと思ったけど、全然想像がつかない。とにかくすごく昔!ということしか。ベースの成ちゃん以外は中学生の時に始めた「エレファントカシマシ」以外のバンドに参加したことがないという事実にも驚く。最初に就職した会社に定年までずっといる、というのならともかく、これはバンドだし。そもそも中学生の時からっていうのが。もう自分が生まれた時からの実家の家族よりも、結婚してから出来た自分の家族よりも濃い関係でお互いが自分の体の一部みたいな感じなんじゃないか。こんなに替えがきかないという状態もそうそうないような気がする。替えがきかないところは大きな魅力で、かつ、少し不安。でも不安に思っても仕方ないので、体に気をつけてほしいなあと思うのみ。

高校生の時に作った曲も来月発売になる新曲も同じ密度で演奏してて、こんなに長く続いているバンドのファンになったことないから、他に比較対象がない。とにかく奴隷天国のラストで突然パイプ椅子に駆け上り、バッ!と飛び降りて終わったのとか。あのタイミングのすごさ!毎回書くべきことはたくさんあるんだけど、びっくりしたところばかり書いてしまうな。二部の畳みかけ方はほんとすごかった。四月から始まったツアー、そろそろ疲れて声が出なくなったりしてもおかしくないなと思ってたけど、そんなこと思って正直ゴメン、でした。一緒に行ったSさんも気に入ってくれてうれしかったので、帰りにカレーを食べていろいろ話をしました。気に入ってくれてよかったー。(まだ言ってる)

成ちゃんの実家が大きい下町のお風呂屋さんで、こう、富士山の絵がドーンと描いてあって…という話があったので、これを貼っておきます。ドーン!

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1999年くらいまで数年の間、ホームページをやっていた。会社の人に作り方を教えてもらって、色んなサイトのソース見ながら真似しながら作っていた。でも、そのブームはmixiの出現とともに衰退し(個人内で)、今はTwitterfacebookInstagram、あとGoogle+な訳ですが、急にブログをやってみようと思った。こんなに普及してるんだから、初期のホームページ作りよりも簡単なはず、と思ったもののいきなりつまづく。デザインとか色んなことが出来すぎて自由すぎて困惑している。とりあえず自分の顔写真みたいのをどうやっていれたらいいのかわからず、かなりの時間を無駄にしてしまった。

でもいい。このブログを作った一番の理由はfacebookTwitterに書きすぎを防ぐためなので。知り合いがたくさんいるところで大量に書いたりすると迷惑だし、「あいつ、どうなってんだ……」となってしまいそう。(たぶんもうなってる。遅い)

だから、ここに色々書こうと思って。文字制限とかあるのかな。ブログのタイトルは最初「竜宮城」にしようと思ったんだけど、それではまるでキャバレーみたいで、そんなきらびやかなタイトルはおこがましい。だからおにぎり山にしました。今後どうぞよろしくお願いいたします。

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