おにぎり山

こころおきなく長文で

訃報の連絡から一週間ちょっとが過ぎた。まだ実感がわかず、妙な感じが続く。その間何をしていたかというと息子の遊びの遠出につきあった。千葉まで行くと言う。普段は夫が遊びにはつきあっているのだが土曜日しか行かれなくて、ふだん全然遊びにつきあってない軽い自責の念(てほどでもないけれど)もあって。ちょうどいいや、ソレつきあいますわーって行ってしまった。そうしたら、息子が学校で勝手に友達と行く約束をしていて、ちょっと責任が重くなった。一人でだって海浜幕張駅にすんなり行けるかどうかなのに。駅で友達と待ち合わせているというという息子はもう前のめりで、一足先に行って駅で待っている!と言って家を飛び出ていった。だんだん重くなる。何がって。気ですよ、気。もうちょっと近いところだったら良かったな、とか、友達が一緒だとなんか事故とかあったらどうしよう、とか。幕張なんて遠い所は夫に任せておけば良かったとか。

重い足取りで一足あとに駅へ。息子は小さい子と何やら話していた。あれ?友達は?いるじゃん、ココに。みたいな会話をして、その小さい子が同級生だということがわかった。息子は人一倍大きく、お友達はたぶん平均的なサイズよりも二回りくらい小さい。だから二、三歳の年齢差があるように見えてしまった。息子が彼からおかしをもらっている姿は、まるで中学生がカツアゲしているようにしか見えない。そんなデコボココンビを伴って幕張へ向かう。子ども同士での会話は一人っ子のうちでは聞かれないものだから、息子は子どもだけの世界だとこんな風に話しているんだなーとか新鮮だった。

その子はかなりの人見知りのようで話しかけてもあんまり話さない。具合が悪いのかしら?と思って少し心配になったけど、私が知らない人だから緊張してるだけのようだった。息子とばかり接しているものだから、子どもというのは大食い早食いでやかましく、デカイ声で話してテンション高めな風につい思ってしまっていたけれど、息子はそうとうソッチの方のようだ。他の子と接する機会は親にとっても重要だなーと思った。この子は引っ越しをしてきたばかり、ばかりなのか、ちょっと経ったのかよくわからないけれど、とにかく学校があまり好きではない。みんなと同じ事をやるのも好きじゃなさそうだ。うちの息子なんてみんなと同じじゃないとイヤだという典型的日本人ぽいのに、子どもによって違うんだな。おともだちに何かを話しかけても、ぼんやりと聞いているのかいないのか、じっと黙っている。返事が返ってこないから、ああ、聞いてないのか、返事をしたくないのだな、と思って諦めかけた時に、ボソっと「……うん」とか返ってくる。返事をするのに時間が掛かるだけなのかもしれない。数時間一緒にいたら、少しずつ言葉数は増えたけれど、極めて大人しい子だった。息子とのやりとりをきいていると、性格が違うからケンカにもならず、妙に仲がよい感じに思えた。二人にしかわからない、クラスの誰かの話をそっとして笑ったり。楽しい小学生の休日のとおりで見ていて私も楽しかった。

なんとなく、普段やってないお母さんらしいことがしたくて、幕張メッセまで連れて行ったものの、会場につくと小学生の熱狂がうずまいているような状況で、子ども達だけでバーッと走って行く。まあ携帯もあるし。こういうところでは子ども達だけで遊びたいだろう。うちの息子の興奮ぶりはちょっと将来が心配になるような感じのもので、サンダルつっかけて煙草吸いながらパチンコに通い詰めるような大人になったらどうしよう、と少し思った。少ししか思わなかったのは、あんまり深く考えても仕方ないと思っているから。親が心配しようがしまいが、なるようにしかならなくて、パチンコにいまのめり込んでいる人たちの親だって、そういう風になるように望んだわけじゃないのにそうなっちゃってるのだから、まあ、仕方のないことってありますよね。

子ども達がカードを買ったり、なんかしている間、どうしようかなと思っていたら、訃報関連の続報が入った。これをまた連絡出来たらしてほしいと。ちょうどメールを送ったりは出来る状況だったので、会場の隅で送る。驚きの返信が来る。お悔やみご冥福安らかに、と祈る言葉が続く。こんな場所からだけど。子どもが山盛り、俗っぽい遊びがてんこ盛りの場で、亡くなった友人とはそぐわないけれど。その時にふと思った。どんな人でも子どもの頃はいわゆる俗っぽい遊びを好む時期があるんじゃないか。

たとえば、戦闘ヒーローに憧れたり、ギラギラと下品なカラーリングのオモチャをほしがったり、テレビで話題の、みんなが持っているアレがほしいコレがほしい買って買ってお母さん!という時期があるんじゃないだろうかと思った。

亡くなった友人は本人もご両親も、そういうものからは遠いところにずっと暮らしていたように思う。育つ環境も、また、学校に進んでからも俗っぽいものとは隔たりのある場所にずっといたから、こんな下品な色合いの世界には行ったことがないだろうと思ったけれども、彼も子どもの頃、多少は、「これを買ってくれないとイヤだ」「お願いだから買って」Je veux que cela. À l’achat. MAMAN. みたいなことを言っただろうなと思った。私はこの国の言葉はぜんぜん知らないから、そういうサイトで翻訳してみました。自分に息子がいるからだろうか。息子が大病をしているからだろうか。昔から知っているのに、つい自分の息子や、彼の母親を通して見てしまう自分がいた。なんでだろうなあ、彼にしてみたら、母親のこととか関係ないですし、とか言いそう。訃報を回していたら、携帯の充電が切れそうになった。こういう時のためのモバイルバッテリーだと思って充電。すぐになくなる。ほぼ空のモバイルバッテリーをわざわざ持ってきた己の手抜かりぶり。通常運転だけど。単に充電が切れた時よりもむなしさだけが増していく。一応待っている間のために伊丹十三の文庫を持ってきていた。

柔らかい柵で囲まれた休憩所という名ばかりの場所で床に転がって本を読む。この本を初めて手にした時には私は十代だった。「再び女たちよ」を知ったのは、大型書店でアルバイトをしていた時だ。お客さんがレジに持ってきた本にカバーを掛けようとしたら、矢吹伸彦のイラストに気がついた。伊丹十三のことは正直あまり知らなくて、あ、はっぴいえんどのジャケット描いてる人の絵だ、と思って。私もこの本読んでみようと思って、お客さんが帰ってすぐに、その本に入っていたスリップを見て、自分用に注文をした。とても面白くて、私が読みたい内容が読みたい文体で書いてあって本当に好きだった。自分で試したり出来そうなところはやってみたり。まあ憧れてたってことです。伊丹十三自体よりもそこに書かれているいろいろなことに。絵もよい感じで伊丹十三という人はホントに多才な人だったんだなと思った。俳優としての評価はあまり知らないのだけど、もしかすると器用すぎて「これだ!これしか出来ない!」というのがないのが逆にコンプレックスみたいな感じなのかしら、とか勝手に思ったりもした。考え方とかとても興味深かったのだけど、育児とか教育とか作務衣っぽくなってきたあたりで、ちょっと違うーーと少し思った。映画製作が主になっていった時にもちょっと違うーーと思った。いろんなことが出来て、マルチアーティストのはしりみたいな人だけど、越えられない父親というのが大きくあったのかなと勝手に思ったりもした。実際の父親がどうだということではなく、かなり小さい時に亡くなっているみたいだし、彼の中にある父親像が大きいもので越えられない、父親を越えて行かねばならないみたいな感じを彼自身楽しんでいたようにすら思えた。映画はアイディアに溢れていたけれど、(全部見たわけじゃないけど、最初の二作はとりあえず)なんというか、映画が「どうだ、すごいだろう、この映画」と言っているように思えた。他の人が思いつかないような題材を丁寧に調理したという感じで、面白くない好きじゃないと言わせない雰囲気があった。なんというか、油断してほっとするヒマもないような。びっくりはしたけど、私の好きな種類の映画じゃなかった。映画でヒット作出すよりも、エッセイのような余技ぽい事をもっとしてほしかったなあ。まあ本業あっての余技なわけですが、本業の方は残念ながら好きになれなかった。そんなことを思いながらも、なんだかんだと彼のファンでいたので、亡くなり方には釈然としないものがある。こんな死に方をするような人ではなかったから、取り沙汰されているような話なのかもしれない。自分からにしても他人からにしても、予想もしていなかった悲しいこの世の去り方で、本当にびっくりした。そのことを知ってからも未だに何度も読み返す数少ない本の何冊かのうちの一つ。
訃報を送るのを止めても結局は別な死のことを思っていて、色んな形で死が近づいてきたなあと思う。

そうこうしていたら、死の影なんて全然ない子ども達が遊び終わって帰ってきた。死の影なんてないっていうか、まあ無くはなかったんだけど、本人のキャラ的に皆無ということになっているというのが正確な状態だが。

二人とも行きよりもうれしそうで、二人を連れて駅まで歩く。駅の近くでアイスクリームをベンチに座って食べた。少しあるいたところで大道芸人が何かをやっていた。みかん農家で働いているという人で危険な技をやりつつ、インカム使ってトークをしている。ちょっと面白そうな、そうでもないことを言っていたが、芸はすごくて、お客さんも多かった。子ども達も楽しそうに見ていて、終わってからカゴにお金を入れに行くように言うと二人でいそいそ行っていた。

電車に乗る前に友達のお母さんに電話をし、思ったよりも遅くなってしまったので、家の近くまで送って行った。ここで力尽きて、息子もお腹が空いてしまったので二人でモスバーガーへ。まあたまにはこういうのもいいよネとか良いながら。外食はたまにじゃないけど、夜にハンバーガーなんてアメリカ人みたいなのはほとんどないので珍しかった。

外は暑く、幕張の会場は冷房で冷えていた。その中で死のことばかり考えていたら芯まで冷えてしまったようで、風邪っぽい。慌てて葛根湯を飲んで寝たけれど、もう遅かったみたいで完全に風邪で日曜は寝込んでしまった。慣れない事をやるもんじゃないとかいうけど、ほんと、お母さんプレイというか、慣れない事をやったから調子が狂ったんだと思った。

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